鎮魂歌を

 この星にまた、君の好きな季節がやってきたよ。

 その日も、あの日のように、清々しい青空がどこまでも広がっていた。風が駆け巡り、初夏を感じさせる若草が茂る中、ひとつ、桜のような淡い桃色を映えさせていた。その桃色の彼は、ゆったりたなびいていく雲を目で追っていた。

「やっぱり あの子みたいだ」

 何もかも吹き飛ばし、はっと目が覚めるような青と、洗いたてのシーツみたいな真っ白な雲は、やはりあの子の色だった。ふと、あの子の手袋の感覚を思い出した。たんぽぽみたいな、温かくて、柔らかい手だった。あの子の手の方が、大きかった。何度も何度も、お互いに握りあった。はたと目が合う度に、目を細めて、その子は微笑み返した。瞳の知的な黄色が、美しかった。

 今考えてみても、どこからどこまでが嘘偽りなのか、分からない。あの子はそういう子だった。ぼくにとっては、全部があの子のありのままに見えた。それも、計算のうちだったのかもしれない。白い壁に囲まれて、一日中キーボードに齧りついて、一生懸命なあの子の顔も、腑に落ちてないのか、ほんの少しふてくされたあの子の顔も、ああして、不思議に笑ってるあの子の顔も、季節がひとつ廻っても、鮮やかに思い出せる。

「よお」

 突然、風の音を割いて、どこか安心する、どっしりして凛とした声が響いた。振り向くと、上着の強い赤が目に飛び込んできた。「奇遇だな」と言って一瞬、桃色の彼の表情を伺って、すかっとした笑みを浮かべた。そして彼は、風で乱れた帽子を直した。

 そのまま桃色の彼は、前を向きなおした。赤い彼は、その場所に立ったまま、一寸間をおいて、静かに話をしはじめた。

「俺も、多分、お前と同じことを思ってる」

 ああ、だから、この場所に来たの?そうだね。ここは、この辺りで、一番空に近いから。そう言うと、長い付き合いだと、考えも似るんだろうよ、と返された。

「…こういう、青だったよな」

 声に、懐かしさを含めて言う。駆け抜けた風が、その声を乗せて、無慈悲に、ぼくの耳に届ける。なんだか、その響きで、あの子のことが、ひどく遠い昔のように思われて、胸が締め付けられた。

 一年前、あの子が、最後にいのちそのものの化物になったとき。

 あの、憎悪と悲しみにまみれて、断末魔をあげる、あの子のたましいは、ぼくに、訴えていたんだと。内側にある悲しみは、誰にも理解してもらえず、さらけだすのが怖くて、しまっておくことしかできなかったと。寂しかったのだと。どうして、気がついてくれなかったのだと。そういう気持ちがねじれてこじれてひねくれて、ああしてしまったのだと。そして、その内側のものに、ぼくは気がつけなかったと。

 

そして、そのまま、

殺してしまった。

 そのことばが浮かぶたびに、こころにぽっかり空いた穴が、また、ひろがった。

殺した

ぼくが

ぼくが!!!

あの子のおおきな目に、

剣を、つきたてて

血が、いっぱいでで

あの子が、痛そうにして、

苦しんでもがいて、

なのに、とどめに、

もう一回、切りつけて

あの子の返り血が、こびりついた

鉄の、においがした

あの子が鳴いた

肉片が 飛び散った

死んだ

ぼくが ころした

 その言葉は、永遠とエコーとなって、繰り返される。空を見ていられなくなって、目を閉じる。もっと方法があったはずなのに。なのに、なのに。過去には、戻れない。そんなことは頭では分かっていても、「もしも」を考えてしまう。もしもあの日、あの時、こうしていたら。もっとあの子の言うことに耳を傾けていたら。もっとあの子と、触れ合っていたら。あの子は、ああならずに済んだかもしれないのに。

 そんなあの子の内側も知らないのに、ぼくは、「友達」と、ほざいてたのか。

「はは」

 もう、乾いた笑いしか出ない。その声もまた、春風がかっさらっていく。

「ぼくってば、最低だよね

 あの子のこと、何にも知らないのにね

 『ずっと友達でいようね』

 なんて言って、

 ばかだね」

 ぼくの表情をみられていなくて、よかった。きっと、今、ぼくはひどい顔をしているだろうから。

「ひとのこと全てを知ることなんて、無理だろが」

「そうだとしてもね」

 彼が言うことはもっともなことだ。でも、それでも。ぼくは。

「結局、あんなに、ひどいこと、しちゃったんだもの」

 頬に、温度を感じる。ああ、泣いてしまっては、いけないのに。泣いてしまっては、いけないのに。ぼくは泣いてはいけないのだ。ぼくは、悪いことをしたのだから。そんな資格はないのだから。

「あいつは」

 慎重に言葉を選んだのだろう。随分間をおいてから、口を開いた。

 …あっただろ?確か、俺は具合が悪かったか腹壊したかなんだかで、お前以外は留守番しようってなったとき。あいつ、お前には全く言ってなかったみたいだが、ひどく心配してよ。ひとりで、大丈夫かなぁとか言って。一応あいつ、銀河一強いことになってるから大丈夫だって言っても、マントがびらびらするぐらい、そわそわそわそわしやがってさ。なんだか可笑しくてよ。そこにお前が来て、

「じゃあ、行ってくるね!」

 ってな?そしたら、さっきのそわそわは全然見せないように、

「ウン!でも、本当に行くのカイ?今日ぐらいは、休ンデいいノニ」

「大丈夫!だって早くパーツ集めたいもの」

「…ボク、ああ言って急かしてるケド、そこマデ急ぐ必要ナンテないデショ?どうしてソンナ」

「だって、友達が困ってたら、出来るだけ早く助けたいじゃない」

「トモダチ?」

「うん、友達」

「…ボクが?」

「うん」

「……そうカ」

「あっ、暗くなっちゃうから、もう行くね!いってきまあす!」

「ウン!イッテラッシャイ!」

 しばらく手を振ってお前を見送った後に、あいつはずっと不思議そうにして、初めてそんなこと言われた、って俺に言ってよ。俺も、連れのふたりも、同じように言うだろうよって言ったら、ますます不思議そうに首を傾げて、変な星とか言って。

 そしたら、あいつは、確かに、言ったんだ。

「でも、なんか、嬉しいナァ」

 ぼそりと、「トモダチってドンナのだか、ちゃんと知らないケド」って聞こえた。表情は見えずに、分からなかった。でも、声に、いつも以上に柔らかさがあった。気のせいかもしれないが、少なくとも俺はそう思った。そして、こうも言った。

「デモ、ボクみたいなやつに、トモダチになる資格ナンテないノニ」

 直感、したんだ。ただなんとなくだ。理由なんてない。言わずにはいられなかったんだ。こいつに、何か言わなければ、すぐにでも遠くへ何かに連れ去られてしまうんじゃないかって。そういう、引力みたいなものを感じた。

「資格とかじゃない」

「デモ」

「…友達ってのはな、別に特別なことをするとか特別なものをあげるとか、そういうんじゃないんだ」

 またそいつは、こっちに顔を向けて、首を傾げた。

「そいつが嬉しいときにも、悲しいときでも、怒っているときでも、ただ、そばにいてやるだけでいいんだ。時には、楽しい話をしたり、愚痴を聞いてやったり、互いに鬱憤晴らしたりとかな。特別なことなんて、なんにもしなくていい。ただ、同じものをみて、さわって。一緒にかんじるんだ。そうしてると、自然に、それが、かけがえなくなってくる。必然的に、『とくべつ』になるんだ。もうそれは、おまえとあいつが、もうやってることだろう?」

 そうしてあいつは、暫く俺の目を見つめてた。何かを探るように、確かめるように。

「ほんとに、いいのカナ、トモダチって言っていいのカナ、トモダチって思っていいのカナ」

「何ら問題ねえさ。資格有る無しの問題じゃねえんだ。もうお前の中で『とくべつ』になってるんなら、それでいい。おまえがそうなら、あいつにとっても、そうだろうから」

「ーそうカァ」

 春風があいつの耳を撫でていった。それで、気持ち良さそうに笑って。

「ここはあったかくッテ、いいナァ。ここには『季節』っていうのがあるって聞いたヨ。ボクの星には、そういうものが無いンダ。今は…春?って言ったカナ。ボク、きっと『春』がイチバン好きダヨ。まるで、アノ子みたいで」

「ああ、そうだな。あいつみたいで、俺も好きだよ。たくさん昼寝がしたくなる」

 目を赤く腫らしたピンク色の彼は、話を聞いているうちに、いつのまにかまた、赤い彼の方に向き直っていた。

 風が一瞬、音を掻き消した。

「ー多分、としか言えない。多分、後戻りできなくなったんだ。ただ、初めは、クラウンのために、本当に嘘をついてた。でも、心変わりしてしまった。嘘をついたのを後悔した、かもしれない。こころの中では、謝ってたかもしれない。それでも、真実を正直に、言えなかった。初めて、『壊したくないもの』を手に入れてしまったから。嘘をつき慣れてしまっていたのも、あるかもしれない。ただ、真実で絶望されたくなかったから。結局、最後の最後まで、自分自身に、嘘をつきつづけることになった。完璧な悪役で終われるからだ。でも、真実を言われたところで、俺たちはきっと、あいつを責めたりはしなかっただろう。でも、違うんだ。あいつは、『不器用』だっただけだ。嘘はついていたが、ついてないんだ。

 この世に優しい嘘なんてものは、俺は無いと思ってる。ただ、タイミングが合わなかっただけだ。ことがたまたま、上手く運ばれなかっただけなんだ。偶然なんだ。おまえも、あいつも、悪くなかった」

「でも、」

「そうだ。今じゃそれが、真実か嘘かなんて、わかりゃあしねえよ。それでも」

 赤い彼は、ゆっくり歩みよって、ピンク色の彼の頭を撫でてやった。

「おまえは、あいつのことを、好きだったんだろ。おまえにとっては、友達だったんだろ。それは、嘘じゃねえだろ?」

 ーああ、うん。

 そうだよ。そうだった。あの子が、大好きだった。

 初めてこんなに、大きな声をあげて泣いた。それは全て、永遠の青をもった空に吸い込まれた。もしかして、宇宙中に響くような声だったかもしれない。それぐらい泣いた。肩の荷物が全部降りた気がした。好きだったと言ってはいけないと、想ってはいけないと思っていたから。あんなにひどいことしたから。許されないと思っていたから。でも、ひとは、たとえ何があろうと、後悔を持ち続けようと、どんなに涙を流そうと、どんなに時間がかかろうと、前に進まなねばならないのだと。そして、前に、進んでもいいのだと。そう、あの子に言ってもらえた気がした。

 たとえ真実だろうが嘘だろうが、ぼくにとっては、あの子は友達だった。大好きだった。もっとずっと体温を分かち合っていたかった。抱きしめてあげたかった。

「…時間がかかるかもしれないや」

「いいさ、俺も、時間をかけたよ。お前に言うかどうか、随分迷った。俺も、あいつが好きだったしな。ゆっくりでいい。前に進めさえすればいいんだ」

 デデデは、また、スカッと晴れた笑みを浮かべて、ずっと頭を撫でてくれてた。ぼくは今、上手く笑えているだろうか。

 あの日から止められた時計の針を、カービィはゆっくり動かし始めた。

 ああ。

 もしもこの世に、本当に、かみさまがいるならば。こんなぼくが、祈りを捧げてもいいというならば。

 どうかあの子に、マホロアに。

 せめて、安らかに。

 鎮魂歌を。