ひとりぽっちの天狼星

 蒸せるような、重く気だるい暑さをひたすらにうっとおしいと思っていた白い昼間の砂漠だったが、空がバーミリオンに染まり、夜を連れ込むと、途端にしつこい熱はすうっと消えて、代わりに寒さがついてきた。芯に残った熱を逃すまいと、肩からすっぽり毛布を被りなおして、空条承太郎は身体を小さく丸めた。空は、冷たい瑠璃紺に包まれて、背後の火のあかりを拒んでいるようだった。彼は、ゆらゆら揺らめく薄い自分の影を、じいっと見つめていた。

 空条承太郎は、暗闇が好きではない。

 理由は至極単純、暗いのは不安だからだ。3歩先の人の顔が見えない。小さい頃の彼は、それが嫌だった。見えていたものが見えない。見えそうなのに見えない。触れそうで触れない。そして、それを完璧に認識できないことが、性根がまめな彼にとっては、とてももどかしくて、どろりとした不安を煽られるものだった。

 それの延長で、スタンドが発現して大分視えるようになった今も、嫌悪感がある。寝息(でけえ鼾だ)を立てる仲間たちがすぐそばにいることで、独り暗闇に残されるさみしさを紛らわしているが、それでもなんとなく落ち着かなくて、ほうと小さく溜息をついて、帽子のつばに触れてみたが、自分の指先を冷たくしただけで、何も満たしてはくれなかった。

「見張り番代わるよ」

 そう上から降ってきた静かな声は仲間の花京院典明のものだった。ほんのり焚き火の赤橙にあてられて、いつもの強い緋色の髪がいっそう強くなって深緋に見えた。本来はここですぐに寝袋に入るところなのだが、花京院を残して置いていくのは、なぜか心許ない気がして、いつの間にか「暫く一緒に居ていいか」と聞いていた。花京院はふと不思議そうな顔をしたが、「いいですよ」と柔らかく微笑んで、隣に座った。

 毛布が一枚しか無かったので、花京院の肩にかけてやると、「君も寒いだろう」と言って左半分を自分の肩にかけなおした。大の男二人には小さすぎる毛布で、前ががっぽり空いてしまって、おかしくなって2人でくつくつのほのほ笑った。寒くないか聞くと、承太郎が子供体温なのか、とても温かいと声を弾ませて、身体をくっつけてきたので、なんだか照れくさくなって、うるせえとなんとか言い返した。表情まできっと分からない薄暗さだというのに、つい帽子のつばを摘んで目を隠してしまった。

「ところで承太郎、君は、一等星という星が、この空にたった21しか無いことを、知っているかい?」

 花京院は空を見上げながら、思い出したようにぽつとそれを呟いた。

「初めて知った」

そういえば、旅を始めて、空をじっくりと眺めていないと、承太郎は思った。同じように空を見上げると、真っ先に明るい星が目に入った。

「一等星は選ばれた星たちだ。僕は、その中でもあのあかく燃えるように光る、ペテルギウスが好きだなあ。でも、ペテルギウスは、年老いた星だから、すぐ消えてなくなってしまうかもしれないんだ」

「ふうん、」

「あんなに情熱的に、めらめらと燃えているのに。超新星爆発をしたら、月がもう一つできたんじゃあないかって思ってしまうぐらいの、光の爪痕を残してしまうらしい」

「へえ」

届かないと分かっていても、ペテルギウスに手を伸ばすかのように、花京院は、白く長い人差し指で、その星を示した。星のことを語る花京院は、まるでペテルギウスに憧れているかのように、うっとりと話をした。星に魅せられて、それでも今は、それを見ているだけでいいというような口ぶりだった。ふと花京院の顔を見ると、彼の燃ゆる瞳と目が合った。聴覚だけが研ぎ澄まされて、焚き木の音が奇妙に大きく聞こえる。そのまま暫く見合っていると、大切なことを話すかのように、零さないよう囁くように、次の言葉を紡いだ。

「あと、今気づいたんだが…承太郎は、まるで、シリウスみたいだな!」

 ぐっと顔を近づけてにやっと笑ってくる花京院に、つい自分はきょとんとしてしまった。そんな自分をよそに、花京院は、宝物を見つけた子供のように、声を少し大きくして興奮気味に続けた。

「シリウスは、この空の中で一番、強く碧く煌めく星さ。君は全身ランプブラックに包まれているから、夜空の色にふわりと溶け込むんだって、分かったんですよ。まるで君の身体そのものが、夜のとばりのようだ。それで、君の瞳はあおいから、夜をさいて光る、シリウスみたいだって思ったんだ。

 古代エジプトで、シリウスが日の出に先駆けて昇るのを認めた日を年の初めとしたように、君もこの、エジプトの旅の行くべき道を照らす星のようだから。安易かな…でも君もシリウスも、うつくしいから。ってわあ、というかなんか、すごい、恥ずかしい事を言ってる気がする!でも違うそういう意味じゃない似てるってことが言いたいんだ僕は!!」

 身振り手振りを交えて、必死に気持ちを伝えようとする花京院が、とても健気で、素の彼を見せてもらえるぐらいの仲になったということが、素直に嬉しくて、つい、顔がほころんでしまった。

「………笑わないでくれよ」

「くく、いや違う、嬉しかったんだ、俺は」

「からかってるだろう、君!」

「大まじだ。それで俺も、綺麗だと思うぜ、てめーは、ペテルギウスみたいに。てめーの髪と、てめーの高えプライドと、似てる。強く熱く、ぎらぎらして、いいと思うぜ。そういう、譲らない気高さみたいなのが、好きだ」

 お返しに何か言い返してやろうと思って、冗談めいた言葉を出すつもりが、思った言葉が泉のようにこんこんと湧き出し流れるように言葉がこぼれてしまった。言ってみて、頭の中で言葉を反芻した承太郎は、頰に血が集まっていくように思った。

 なんと気障な言葉が出てしまったのだろうか!!好きって!そういう意味では断じてないが!なんてことだ!出した言葉は取り返せない!!できたら時間を戻したい!!そんなことを頭でぐるぐる考えながら、右手で顔を隠していた。頰の熱が右手の手のひらに移っていくのが分かり、自分を納得させるような上手い言い訳も見つからないまま、もっといたたまれなくなった。

 そのまま何も言い返してこない花京院に不安になって、指の隙間から覗くと、口をへの字にして自分と同じように、左手で目元を隠していた。互いにその場の空気に耐えきれなくなって、自分の帽子を花京院に無理やり深く被せた。花京院は、わ!と素っ頓狂な声を上げていたが、そんなことは関係ない、今は恥ずかしさをどうにかしたい一心だった。

「俺はもう寝るぞ!」

「え!あ!うん!」

ぎこちない言葉を交わしながら、承太郎は艶としたブルネットを揺らし、ズカズカと大股で自分の寝袋へ向かい、入り込んだ。

 確かに承太郎は、恥ずかしさでいっぱいになったが、不思議と、全く嫌に思わなかった。焚き火に目をやると、ぱちぱちと橙色が弾けて、眩しかった。火を背中に向けて、暗闇が目の前に広がったが、もう、みえないものも、怖くないと思った。瞼を閉じても、あの紅い星が思い出されて、寂しくなかったし、近くに感じていたから、大丈夫だと思った。