大波と電球


■まにさんが、チギル王子視点の3次創作小説を書いてくださりました!ぜひ読んでくださいまし!より濃密に切なさが伝わります…

■Re:Kさんが、小説の3次創作イラストを描いてくださりました!あのシーンの切り取り方の巧さに脱帽です…!
         

 夜を背にして摩天楼は踊る。ネジかけ屋の二階から、誘われるようにその方角を見つめた。それらが踊るステージの上空が、青白くグラデーションでいて、よく分かるのだ。遠くからは静寂と小さな耳鳴りが聞こえる。高々と昇る光は、歪んだ硝子越しから、森の中から薄っすらと霧が立ち込めているように見えた。暗闇の天井に自分の手をかざして見ると、自分がとぷんと深い夜に浸かっているのが分かった。

 そういえば今夜も冷えるな。城を追い出された、あのほんの少しだけ苦い、冷夏の暮れを思い出す。あの頃は本当に何も知らなかった。ただ、ネジが好きという衝動で11を迎えた。しかし、あの、舌の奥がつんとするような苦味があったから、初めて分かったことがたくさんある。この数日で戦うことの面白さを知ったり、ネジの奥深さを知ったりした。生意気だけど、面白おかしくて、かけがえのない相棒との、心地のいいくらい走り去っていく日の尊さも知った。そのボキャボットの相棒は、ネジ屋でぐっすり眠っている。

 …知るようになったことはへボットやネジ以外にもたくさんある。

「おい、弟!なんでまたここにいるんだお前は!」

 暖かい電球の光が部屋を照らす。後ろを振り返ると、3つ上の兄チギルが難しい顔をして立っていた。

「いいじゃないの〜減るもんじゃないんだしぃ〜お隣さんなんだしぃ〜兄弟だしぃ〜」

「ダメだダメだ、意味がわからん。千歩譲って来たのは良くても、こんなに冷える夜にどうして畳にそのまま寝るんだ。タオルケットでもかけろ。勝手に出していい。……また畳の跡がついてるぞ」

 身体の前で素早くばつ印を作りながら、矢継ぎ早に言った。それでも声量がいつもより抑えめなのは、下で寝ているペケットへの配慮だ。兄上は襖を開けて、ぼくさまに座布団とタオルケットを投げ渡した。兄上もすぐに眠るつもりなのだろう、手早く敷布団を出す。

「今日も相談とやらか?ほら、来い。聞くだけ聞いてやる。すっきりしたらすぐに帰れよ。もう夜も遅い」

「…うん」

 ある日から、ネジルにとってのルーティーンであり、儀式のようであるものは始まった。土曜日の夜、チギルが必ず買い出しに街へ行くことを、ネジルは知っている。ペケットは留守番をしているから、ネジルは「兄に相談がある」と言って二階に上がる。ペケットはいもチンをつまんですぐに眠るので、ネジルは帰ってくるチギルをひっそりと待つ。そんな調子だ。

 ぼくさまが相談内容を話すと、兄上は、時間を置いて、少しずつ言葉を選んで、答えてくれる。でもぼくさまは、自分から相談しておいてなんだが、兄上の答えをそこまで聞いていない。ここには、本当は、別の目的でお邪魔している。

(あにうえ、今日もかっこいい)

 悟られないように瞳をみつめて頷く。こんな些細な相談に対して、真剣に答えてくれる。勝手に上がりこんできたぼくさまにすぐさま座布団とタオルケットをくれる。下のペケットへ配慮して小さく話す。

 他にも、ぼくさまは兄上の素敵なところをたくさん知っている。ぼくさまが変な人に絡まれて困っているときは、立ちはだかる。ぼくさまのネジバトルが上出来だと、自分のことみたいに得意げな顔をする。つっけんどんに振る舞いはするけど、兄上は、本当にかっこいいのだ。そして、誰よりもやさしい。だめだめと言うばかりでない人だ、配慮のある人だと気づいてから、自然に兄上を追いかけはじめた。できるだけ一緒にいたかった。けれど、破茶滅茶な日々の中で、兄上と2人きりになれることは少なく、気がつけば、土曜の夜に、適当な相談をこじつけて会うようになった。

 スカイラビットがヘイミのネジ事件のときに教えてくれた。告白をもっとありがたがれ。環境が環境で、伝えられない気持ちを焦がしたまま、失恋する子だっている。伝えてくれようとする気持ちをまず尊重しろ、と。そもそもそのとき、「れんあい」がどうとか分からないぼくさまには、意味を理解できなかった。また別の子からは、「ネジルくんのどんかん!にぶちん!」と言われたこともあったが、へボットには「あれはどう考えてもネジルが悪いヘボ」と、呆れたように言われてしまった。ぼくさまは、れんあいを知らなかった。

 今なら、ぼくさまを「にぶちん」と言ったあの子の気持ちを、理解できる。気持ちを自覚してから、「これは、絶対に兄に対して持ってはならないものなのだ」と思った。なにがなんでも、隠し通すことに決めた。このことばかりは、兄上が「にぶちん」であることに感謝した。でも、弟で本当によかった。弟という立場があるから、夜にたずねても許される。弟だから、この距離が許される。弟だから、この気持ちがばれないで済む。けれども、ぼくさまは、恋愛を、兄上を通して知ってしまった。罪悪感から逃げられない。だから、この時間は、自分の気持ちを許す時間であり、裁く時間でもある。兄上にすがる、ぼくさま自身の儀式なのだ。

「おい、ネジル」

「なっ なに、兄上」

 気がついたら、考えすぎていたようだ。まずい、あやしまれたかな。一気に汗が吹き出す。つい背筋が伸びる。今、口角は適切に上がっているだろうか、態度や視線に出てないだろうか。顔を見れなくて、つい畳の表面をなぞるように見てしまう。と、兄上は膝に押し付けていた握りこぶしに、手を重ねた。

「ダメだな、手を握りすぎだ。お前、今日は特別緊張しているな?手を開け。ほら、あとになってる」

「へっ」

 兄上の予想もしない言葉に、素っ頓狂な声が出てしまった。ぼくさまの掌を開き、自身の手をそっとくるみながらながら、いたって真面目に、兄上は言った。

「肩の力をぬけ、他にも悩みがあるのか?お前の兄なんだ、ワイをもっと頼れ、ネジル」

 ふと目を合わせると、兄上は見たこともない表情をしていた。不安なような、心配げな、でも、俺なら解決してやれるという決意があるような。表の方の兄でも、こんな複雑な顔、するのか。兄上はやはり3つ上の兄なんだな。あからさまには甘えさせないけど、ちゃんとぼくさまを甘やかす。いつもそうだ。やはりちゃんと兄なのだという現実と、この世界中の誰よりも愛しいという気持ちとが、大波になって心を打った。だめだ。目に薄い水の膜が張っていく。大波は体の中をかき回して、喉のところまで満ちてきた。今口を開いたら、深い海の底で溺れてしまう。兄上は目を見るなり、急にぼくさまを抱き寄せた。そんなに優しくしないでほしい。誰よりも優しくしてほしい。背反の感情が、身体を2つに引き裂こうとするのを、兄上が繋ぎ止めてくれてるみたいだった。

 虫は電球の光に誘われて、空を漂っていた。ぱち、ぱちと電球にぶつかる音だけが聞こえる。

 (燃える炎ならどんなに楽だろう)

 小さな熱電球の光は、静かに2人に降り注いでいた。